碇(いかり)をかついだ平知盛像と、八艘飛びの源義経像。壇之浦古戦場に面するみもすそ川公園にて(イメージ)
「ポー!」心なごむ汽笛の音と共に、関門橋の下をいくつもの船が通り過ぎていきます。中世から近世へ、近世から近代へ、日本を動かしてきた歴史が息づく海峡都市下関。食いしん坊の私が毎年「ふく」を楽しみに足を運ぶ場所でもあります。唐戸市場、カモンワーフ(シーサイドモール)、海響館(水族館)とシーサイドに施設が整って十年余り、楽しげに行き交う観光客が増えたようすがうかがわれます。
海辺に立てば、そこは壇之浦。日に四度も流れを変える急潮を目にして、平家の赤旗、源氏の白旗が翻った源平合戦のもようが目に浮かびます。「浪の下にも都のさぶろうぞ」と、三種の神器を携えた平清盛の妻である二位の尼(時子)に抱かれて、この海に身を投じたと伝えられる清盛の孫、安徳天皇や、平家の武将たちの無念に心が痛みます。
水野権宮司(左)、筆者(中央)、中川さん(右)(イメージ) 下関駅で観光ガイドの中川照子さんのお迎えを受け、安徳天皇を祀る赤間神宮へ。途中、白石正一郎が時局打開を祈念して寄進した大鳥居をくぐって大歳神社に。高杉晋作を支えた維新の裏方、白石正一郎は晩年、赤間神宮の宮司として生涯を終えたのでした。源義経が壇ノ浦合戦に際して戦勝祈願をした場所でもあります。
赤間神宮では水野大直権宮司が、源平ゆかりの書物や絵図が陳列されている宝物殿を案内してくださいました。裏手にまわれば「耳なし芳一」の物語にちなんだ芳一堂、平家一門の塚である七盛塚があります。
安徳天皇陵参拝の後、みもすそ川公園では清盛の四男、名将知盛の像と出会い、深手を負った平家の武者が飲んだという平家の一杯水へも足を延ばして拝しました。
翌日は、知盛ゆかりの地である彦島へ。知盛が平家最後の砦である根緒城を築いた彦島には、いまも平家の子孫と言われる人々が暮らしています。
清盛の長男、重盛の守護佛を祀った平家寺・西楽寺へお参りし、目指すは清盛塚です。知盛が父清盛の遺骨を島の守り神として分骨したといわれる清盛塚。濡れ落ち葉の急な坂道を登りながら、そぼ降る雨がよく似合う旅だと感じられるひとときでもありました。
時宗、西楽寺は一遍上人の従者で平忠政の孫でもあった西楽法師によって開かれた(イメージ)
長い間、無銘のまま荒地に放置されていたのを、昭和4(1929)年郷土史家たちが清盛塚と刻んだ(イメージ)筆者プロフィール
1933年東京生まれ。40歳を機に関西に移住。近畿圏、西日本を中心に歴史の道や文化遺産を巡り、歩く視点からの執筆活動を続けている。著書『関西・歴史の道を歩く』『大阪再発見の旅』『土佐癒やしの旅』『熊野古道』など。


