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今月の特集 もっと知りたいあの風物

 

新年、私たちは神様の前で新しい一年への抱負や願いを込めます。初詣に代表される人々と神との関わり、ご利益を願う心。千年の都・京都の神社には、古来から現在に至る日本人の心の姿がありました。

京都ご利益探訪

今回は、人々と神との関わり、その中で生まれたご利益の姿を訪ねて、京都の社寺を訪ねました。その一例として「京都五社めぐり」と「四方参り」を取り上げましたが、参拝やご利益以外でもたくさんの見どころがありました。拝殿での祈願を終えた後は、境内や周辺をゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか。京都の長い歴史の歩みに注目して、いくつかの見どころをご紹介します。

太古から自然と共にある境内〜上賀茂神社

 上賀茂神社は、社殿の北北西にある神山(こうやま)に神がご降臨したという由緒を持ちます。神山は円錐形のかたちをしており、このような山は神奈備(かんなび)と呼ばれ太古から自然信仰の対象になりました。今も全国各地にカンナビ山という名前の山が存在します。

 一ノ鳥居から広々とした馬場を歩き、二ノ鳥居をくぐるとすぐに、円錐形の砂盛り「立砂」があります。これは神山をかたどったもの。よく見てみると、頂点には松葉が挿してあります。これは神様が降臨するための目印と考えられているそうです。

 古代の日本人は、神様は自然に宿るものと考えていました。自然に対する感謝と畏れこそ、日本人と神の関わりの原点です。この上賀茂神社の境内を歩いてみると、そのことが実感できるかもしれません。境内には二本の小川に清らかな水が流れ、木々が繁り、広々とした馬場が開けています。ここにいるだけで、おだやかな気分となり、気分が清々しくなります。また、建物は幾代を重ねても古代からのたたずまいのまま。境内には正倉院などと同じ様式の校倉(あぜくら)などもあります。京都で最もいにしえの雰囲気を感じられる場所かもしれません。

「せっかく訪れられたなら、神社の空気やいにしえの文化を感じてほしいですね」と権禰宜の米田さん。境内地の南には国の伝統的建造物群保存地区である社家町の町並みもあります。ゆったりと散策するほどに、古代から日本人が自然とどのように付き合ってきたのかを感じられる神社です。

ご祭神が降臨したという神山

ご祭神が降臨したという神山。典型的な神奈備の姿を持つ。

立砂

立砂の頂点には、神様が降り立つ目印として松葉が挿されている。

境内

豊かな水と緑が境内を包み込んでいる。

平安時代の離宮の面影〜城南宮

 城南宮がある場所は、現在でこそ名神高速の京都南インターに近く、交通量の多い市街地ですが、創建当時の1200年前にはまるで別の景色が広がっていました。ちょうど鴨川と桂川の合流地点にあたり、ここから南は沼地が多く、さらに南には巨大な巨椋池があったそうです。その姿は中世まで変わることなく、お伽話の「一寸法師」では、大阪の住吉を旅立った一寸法師がお椀の舟を漕ぎ、鳥羽の津(現在の城南宮付近)に上陸します。この地こそが、京都盆地の最南端で京都への入口でした。

 水辺の景色が美しかったこの地には、平安時代後期、上皇や法皇たちの別荘「城南(鳥羽)離宮」が営まれました。白河上皇は『源氏物語』に登場する光源氏の六条院の姿を再現しようと、大がかりな造築・造園を行ったのだとか。そんな離宮の面影の一端に、城南宮の神苑を歩くと出会うことができます。

 神苑に入ると、太古の自然美を彷彿とさせる「春の山」、池を中心として遣水が流れる「平安時代の庭」、池泉回遊式の「室町の庭」、まるで城郭の御殿のように豪壮な「桃山の庭」、そして枯山水で離宮の地形を表現した「城南離宮の庭」と、各時代の様式によって作られた庭が続きます。「時代とともに庭が発展していく様子がわかります」と権禰宜の川崎さん。庭園の至る所には四季折々に咲く花、『源氏物語』に登場する草花が植えられています。院政時代の上皇たちも、この地で美しい風景や草花を愛でたのでしょう。

 城南宮を訪れた時は、ぜひ平安時代後期の離宮の姿に思いを馳せながら、神苑を歩いてみてください。

平安時代の城南宮周辺の姿

平安時代の城南宮周辺の姿。斎館に模型が展示されている。

神苑内の室町の庭

神苑内の室町の庭。お茶席「楽水軒」でお抹茶をいただきながら楽しむこともできる。

城南離宮の庭

城南離宮の庭は、砂の部分で水を表現した枯山水。院政期の離宮の姿を想像してみると趣深い。

華麗なる桃山様式の建築群〜北野天満宮

 平安時代中期、国を鎮めるために菅原道真公の怨霊を祀ったことに始まる北野天満宮。土地の神様(雷神)を祀っていた前身はさらに平安時代前期にまでさかのぼるという古社ですが、境内に一歩足を踏み入れると、社殿の豪壮華麗さに目を奪われます。

 現在の社殿は、慶弔12年(1607)に豊臣秀頼によって造営されたもので、国宝。「八棟造(やつむねづくり)といい、日光東照宮の原型になった建築様式です」と権禰宜・東川さん。ちなみに東照宮では権現造と呼ばれています。いずれも桃山時代〜江戸時代初期の建築様式の典型で、破風など複雑な意匠を重ねた檜皮葺の屋根、色鮮やかな組物、柱や梁に黄金をちりばめたその姿は、神社としてはかなり異色の存在です。

 北野天満宮の東門を出ると、京都の花街のひとつ「上七軒」の町並み。実はこの上七軒も北野天満宮の社殿と深い関係があります。室町時代に足利将軍が社殿を修築した際、余った用材を使って七軒のお茶屋を建てたことに由来するそうです。もちろん、現在の建物はその後幾度か建て替えられたものですが、京都最古の花街として、祇園とはまた違う風情を感じさせてくれます。

 毎年2月25日、菅原道真公の命日に催される梅花祭では、上七軒の女将さんや芸妓さんが総出で野点のお茶をふるまう「梅花祭野点大茶湯」が開催されます。天神様は学問だけでなく、芸能の神様としてのご利益もあります。この地では出雲阿国が初めて歌舞伎を演じたという記録もあるのだとか。

 詩歌や書道から武芸まで文武に秀でていたという菅原道真公には、このように豪壮華麗な桃山様式の社殿がよく似合っているのかもしれません。

北野天満宮の三光門

北野天満宮の三光門。内側には色鮮やかな彫刻(組物)が施され、その中に日・月・星があることから三光門と呼ばれる。

東側から見た社殿

東側から見た社殿。複雑な屋根の造りは桃山様式の特徴。

絵馬所に掲げられた和歌の額

絵馬所には和歌の額が掲げられている。



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